【歴史を知ること】日本酒の歴史を学びながら一杯。
日本ではいつからお酒が飲まれているのかご存じですか?
こんにちは。
本日は、日本酒の歴史について、解説したいと思います。
実は縄文時代から、日本ではお酒が飲まれていたと言われています。
というのも、長野県八ヶ岳の山麓にある遺跡から、ヤマブドウの種が入った縄文式土器が発見されたのです。
このことから、日本では縄文時代から果実酒が飲まれていたのではないかと推測されています。
つまり日本で最初に飲まれたお酒は、意外にも日本酒ではないかもしれないというわけです。
日本の書物にお酒が登場したのは、奈良時代に書かれた日本最古の歴史書『古事記』(712年)です。
日本神話の神である須佐之男命(すさのおのみこと)が、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するために「八塩折之酒(やしおりのさけ)」を造ったと記載されています。
この八塩折之酒とは、仕込み水の代わりに酒を原料に使って、何度もくり返し醸造したアルコール度数の高いお酒のことだそうで、つまり酒で蛇を退治したようだ。
しかし、ここでも原料は不明だそうです。
このように、日本には古代からお酒があったことはわかるものの、日本酒の起源は明確にされていない。
とはいえ、稲作が始まった弥生時代から、すでにお米を原料としたお酒が飲まれていたのではないかと推測されています。
お米を原料に酒を造っていたことがわかる記述は、『大隅国風土記』(713年以降)にあります。
現在の鹿児島県東部に位置する大隅国では、口の中でご飯(穀物)を噛んで、唾液の中にある分解酵素のアミラーゼで米のデンプンを糖化させ、それを壺に吐き出し、溜めて発酵させる方法でお酒を造っていたそうです。
えっ…ちょっと、いや、かなりイヤですね…。
その発酵はイヤすぎます。笑
これを「口噛み酒」と言い、酒を造ることを「醸(かも)す」と言いますが、これは口噛み酒の「噛む」という行為が語源ではないかとする説もあります。
ちょ、どーしても想像してしまいますね。笑
また『大隅国風土記』と同時期に編纂(へんさん)された『播磨風土記』には、神様に供えた米が濡れて、麹カビが生えて甘くなったので、それを使って酒を造ったと記載されています。
奈良時代には「造酒司(みきのつかさ/さけのつかさ)」と呼ばれるお酒造り専門の役所が朝廷の宮内省に設けられ、貴族たちが嗜むためや豊作祈願の神事のために日本酒を造っていたといいます。
平安時代になると、お酒造りは僧侶の間に広まっていきました。
僧侶が大寺院で造るお酒を「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼びます。
代表的なものが、現在の大阪府河内長野市の「天野酒」と、奈良県奈良市の「菩提泉(ぼだいせん)」です。
この「菩提泉」を清酒の起源とする説もあり、奈良県の正暦寺(しょうりゃくじ)には、日本酒発祥の地とする碑が建てられています。
また平安時代中期の文献であり、法律などについて書かれた『延喜式(えんぎしき)』(927年)には、米・麹・水で酒を仕込む製法など、朝廷における日本酒の造り方が詳細に記載されています。
鎌倉時代になると民間の間でも日本酒造りは広まり、京都を中心に酒蔵が誕生していきました。
本来、お酒は冠婚葬祭や豊作祈願など、お祝い事や神事に飲むものでしたが、この頃から日常的にも飲まれるようになっていったといいます。
それにより日本酒で体調を崩す武士が現れたり、酔った勢いで争いごとを起こしたりするなど、事件が多発しました。
これを受け鎌倉幕府は、1252年に「沽酒禁令」を制定し、酒蔵を制限し、酒壺(かめ)は各家に1個と定めたそうです。
室町時代になると、ようやく庶民の間でも日本酒が飲まれるようになりました。
この時代に編纂された『御酒之日記』や『多聞院日記』によると、木炭を使って「ろ過」をしたり、火入れや段仕込み法をしたりするなど、現在の日本酒の製法が完成しつつありました。
また仕込み用の桶が開発されたことで、日本酒の大量生産が可能になったといいます。
江戸時代になると、商人によって日本酒が商品化されるようになりました。
また日本酒の一大消費地は江戸になります。
そのため、海運など輸送しやすく、かつ寒い時期に行う「寒造(かんづく)り」の製法が確立された伊丹(現・兵庫県伊丹市)が日本酒造りの中心になりました。
しかし、その後まもなく灘(現・兵庫県神戸市、西宮市あたり)で、仕込み水として最適である鉄分が少ない「宮水」が発見され、これにより灘が日本酒造りの中心地になりました。
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などなど、有名なお酒が兵庫県には多いのも頷けますね。
余談ですが、造った日本酒は、船で江戸へ運ばれたため「下り酒」と呼ばれました。
一方、江戸に運ばれない出来の悪い日本酒のことを「くだらない」と表現するようになりました。
そう、価値がないものなどに使う「くだらない」という言葉の語源なのです。
へぇ~っ!!
明日から使ってください。笑
明治時代には、酒税が大きな財政源になりました。
そのため、1899年には酒類の自家醸造が禁止になり、一方で、1904年に国立醸造試験所が開設されました。
乳酸を添加して醸造する「速醸酛」などの手法を開発したり、品質向上を目的とした全国新酒鑑評会を開催したり、国が日本酒造りに力を入れ出しました。
今までは桶やかめで量り売りをしていた日本酒ですが、水増しなどの不正を防ぎ、かつ衛生面にもいいことから「一升瓶」で販売するようになりました。
現在、日本酒といえば、一升瓶で販売されることが多いですが、これは明治時代に始まった習慣なのです。
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